― 中学2年生の元旦。省吾は両親と一緒に初詣にいった。子供と大人の狭間で省吾は神様について考えていた。 ―
長い初詣の列に耐え、ようやくお賽銭を投げ入れると、俺は儀礼どおり、二礼二拍一礼をした。
後がつかえているので長居は無用だ。押し出されるように、脇のほうによけると、一足先にお参りを済ませた母が待っていた。
「英検に受かるように、お祈りしておいたよ。」母が言う。
親が信心深いせいもあって、小さい頃から自社仏閣で手を合わせることは多かった気がする。
しかし、いつからか、新年の祈りは何も変えないことに俺は気づいてきた。たぶん、サンタがいないことに気づいたのと同じころだろう。
子供心に、5円、10円で必死に祈る大人たちがこっけいに見えたのを覚えている。
俺はいつからか、手を合わせるときは感謝だけをするようになった。
そもそも、5円とか、10円をより分けて賽銭を投げるような人間が、そこで何かを欲しいとお願いするのは道理が通らないと思っていたからだ。
宇宙の物理法則か、森羅万象の力か、よくわからないが自分より大きな力があることは否定しない。そんな存在があるならなおさら、敬意を払い、感謝するくらいしかできないだろう。
そんなことを考えながら、俺は甘酒の列に並んだ。
つづく・・・
あとがき
彼は、神を信じる。しかし、「さむらいの道」には、たのむ神などというものはない。
宮本武蔵 風の巻より
敬意をはらって感謝はするが、お願いはしない。
これは仕事でもまったく同じだと思います。
ビジネスは、自分が提供する商品・サービスの価値が、相手の生活やビジネスをよりよくするものだからこそ、提案できるものです。
この視点がなければ、営業はただの売り込みになってしまいます。売りたいという気持ちが丸見えのお願い営業です。
神様にもお願いしないのに、営業でお願いしている場合ではありません。
どうにかこちらが頭を下げて、泣き落としで契約をとることも確かにできます。しかし買手にメリットがないなら、それはもはやビジネスではないと思います。
ビジネスはあくまで対等と思えるところで展開するべきではないでしょうか?
自分は誰かの問題を解決し、夢をかなえることが出来る。だから、自分の商品・サービスを多くの人に伝えたい。それが世界を、ほんの少しでも良くすることにつながるんだ!
こんな姿勢でいきたいものです。
自由を求めるあなたなら、いずれにしてもお願い営業はおかしいと、心のどこかで分かっていると思います。
自分の周りの人、自分の置かれている状況、自分のありのままに、ただひたすら感謝してみると何か見えるかも知れませんよ!
いつもお読み頂きありがとうございます!
※この物語は、実体験をもとにしたフィクションです。
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