― 高校3年の5月の模試から1ヶ月が経ち、模試の判定結果が届く。省吾は進路指導教員との面接を迎えていた。 ―
案の定、模試の結果はC判定だった。数値上、志望校への合格の可能性が薄いという意味だ。
「志望校を変えたらどうだ?」
おもむろに進路指導の先生が口を開いた。
「変えるつもりはありません。」
俺はあの模試のあと、変わる決意をした。本試験までの勉強計画もたてた。
俺にはまだ勝算があるはずだ。
「でも君ね、この時期にこの判定で合格する可能性はこんなに低いんだよ。」
統計資料を指差しながら先生が力説している。
(ひとつの数字だけみて、全部わかったようなことを言うもんだな・・・。学校としては一人でも多く、大学に受かったという実績が欲しいだけじゃないのか・・・?)
「ちゃんと話を聞いてるのか?」
俺はどうしても納得できないでいたが、仕方ないので目線は合わせずに、ただ軽くうなずいた。
中学校の頃、偏った音楽ばかり聴いていたせいか、
「大人達のやり方を信用するな」とか
「社会に押しつぶされて自由をあきらめちゃいけない」とか、
そんなピーターパン状態の思考がどこかにあるのかもしれない。
(この統計、すなわち偏差値は、先月の、しかもたったある1日の結果じゃないか・・・。そんなもんで、あんたに俺の人生が見えたとでも言うのか?)
そう心の中で思いながらも、
だが実際、受験というのはそういうものだろうと考えている自分もあった。
つまるところ、受験は試験当日に結果が出せるかどうか、それだけだ。
今回の判定結果は出るべくして出たものだろう。
それまでの、適当に勉強していた自分の姿勢を考えれば、当然の結果だ。それならば、姿勢を改めれば、また違う結果がでるはずだ。それもまた当然の結果だろう。
あとは自分の計画を信じて、望む結果を生むための原因を積み重ねていくしかない。
「だから、話を聞いているのか?」先生が語気を強める。
「はい、考えておきます。」
自問自答が終わった俺は、姿勢を正して答えた。もちろん、言いなりになる気持ちなど微塵もなかったが、それ以上そこで話せることもなかった。
つづく・・・
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あとがき
「普通ならありえない・・・」
「常識的に考えて無理だ・・・」
こういう言葉には要注意です。「普通」も「常識」も人によってかなり幅があるからです。
しかし、人間というのは弱いもので、真っ向から自分の考えを否定されると、何の根拠もなく不安に陥ります。
やはり、否定するからには相手には何らかの根拠があるのかもしれない。そう思うからかもしれません。でも、そんな時こそ自分の頭を使って考えるべきです。
あなたが何を達成できるか、最後に決めるのはあなた自身だからです。
あなた以外の人の言葉で、戦う前からあきらめるなどあり得ません。
もし自分の目標を誰かに伝えて否定されたら、その言葉に意味のある根拠があるか考えてみます。冷静に、否定した本人に聞いてみてもいいでしょう。
そこに否定されるだけの根拠があれば、それは有難いアドバイスです。自分のルート上の障害物を一つ見つけることが出来たことに感謝しましょう。
何も否定する根拠がないと分かれば、不安になる理由などないことも分かります。
誰がなんと言おうと、自分の人生を決めていいのは自分だけです。
いつもお読み頂きありがとうございます!
※この物語は、実体験をもとにしたフィクションです。
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