ー 高校1年の2学期、省吾はきれいなノート作りにこだわりすぎて、逆に成績が下がってしまう。今後どうやって勉強していけばいいか悩む省吾が思いついた方法とは? ー
その後、結局俺はノートを作るのを止めてしまった。
ノートについてどうすればいいかまだわからないが、このままやり続けても間に合わないなら、もっと別のことに時間を使うべきだ。
とはいっても、結局ノート作りは楽しかったから出来たのかもしれない。よく考えてみれば、最近英語の勉強か、ノート作りしかしていなかったな・・・。
やはり、手段と目的を取り違えていたのか。
ノート自体はいい出来栄えだったんだが・・・。
きっと、本当に何かを「研究する」といった段階になったら、またいつかやってみよう。
受験というのは、研究というより、任務の遂行に近い。
決められた期日までに、決められた目的を達成するというものだ。
いつか社会をよりよくするために、自分の代では無理でも、次の世代の礎になるような研究をするという姿勢とは違う。もちろん、どちらも大切なことだが、
今、自分が関わっているのはどちらか?
それを分かっていることの方がもっと大切だろう。
ただ、ノート作りの過程も完全には無駄ではなかった。一元化が大事だということが良く分かったからだ。
何か一つの情報をまとめるために、教科書やら参考書やら用語集やらと見回すと目も首も疲れるし、実際に時間ががかかりすぎる。
一つのノートにあらゆる情報がまとまっていると、あとはそのノートだけ見ていればいい。情報が増えたときも、どこに追加するかすぐに分かったし、見直せば情報がすっと頭に入ってきた。
俺がきれいなノートにこだわったのは、見た目以外にも理由があったわけだ。
だが、今必要なのは、情報の一元化を目指しつつも、もっと手早く出来る方法だ。この際、多少きれいでなくてもいい。
世界史のノートまとめ作業を振り返ると、教科書から写している情報が一番多いと感じていた。そこに、資料集や、用語集などの情報を補足して、ノートを作り上げていく、という作業がメインだった。
「そうか・・・」
「一番時間がかかってるのは、教科書の情報をノートにまとめなおす作業だ。」
教科書はまだ新しい。しかし、書き込んじゃいけないなんて理屈はないはずだと気づいた。中学校のとき、教科書に落書きをして先生に怒られたせいか、潜在意識のどこかに、教科書は神聖なものだという考えが残ったのかもしれない。
教科書には省いても良いような余計な情報もあるが、そこは蛍光ペンなどで大事なところを区別すれば何とか対応できるだろう。
俺はさっそく、世界史以外の科目も、この方針でいけるか試してみることにした。
つづく・・・
あとがき
実際に、私は受験のとき、教科書+いくつかの問題集という形で世界史を勉強していました。結局ノートは作っていません。
教科書に蛍光ペンを引いたり、ほかの問題集を解きながら気づいたことを書き込んだりして、最後はその教科書だけを何度も繰り返し読んでいました。
今回のテーマは一元化です。
仕事でも勉強でも、何か新しいことにチャレンジするときは、本を買ったりネットで調べたり、色々な情報源にあたると思います。
そうしていると、
・ブラウザのブックマーク
・パソコンのメモ帳に書いたメモ
・出先で手帳に書いたメモ
・携帯電話から自分に送ったメール
などなど、気づけば情報があちこちに散乱しているということは良くあります。
メモしようと思った内容なら、どれも自分が一度は大事だと思ったことや、また後で見返したいと思った情報のはず。しかし、後になっていざ何か一つの視点で考えをまとめようと思ったときには、自分のメモから関連情報を抜き出してくるだけで膨大な時間がかかってしまいます。
そこで、日ごろから情報の一元化を意識していれば、後で使える情報源を作っていくことが出来るというわけです。
このご時勢、あらゆる記録媒体が身の回りにあるので意外に難しいと思います。
でも一元化にはそれだけの価値があります。
是非何かで試してみてください!
いつもお読み頂きありがとうございます!
※この物語は、実体験をもとにしたフィクションです。
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