― 省吾は大学入学後、自由に使える時間が増えていた。そこで、何か本気で取り組めることを探していたのだが、早くも次の進路について考える羽目になった。 ―
大学に合格したことについて、もちろん自分として満足感を感じているが
なにより、両親がそれ以上に喜んでいた。
そうなると、次に出てくる話は一つ。
卒業後の進路のことだ。
「省吾、今のうちから次の準備を始めておいたらどう?」
母の古い知り合いに、某省の局長まで勤め上げた人がいた。
話によれば、キャリア官僚の道には相当の魅力があるという。
要するに、親の方が率先して俺の進路を検討し始めてしまった。
確かに自分として、勉強するのは好きな方だ。
また引き続き試験勉強をしていけば、人生安泰のレールに乗れるという話も悪くないと思う。
もちろん、楽な仕事ではないだろうが・・・。
「考えてみるよ。」
俺はそう一言だけ答えて、公務員試験対策の予備校を探してみようと思った。
実際、最近何かが落ち着かないとは思っていた。
今までずっと勉強していた日々から、大半の勉強時間が不要になったことが原因だろう。
そこに来て、また新しい目標がどこからともなく出てきた。
宇宙は真空を嫌うと言うが、
ぽっかりと空いていた穴に、またその目標がぴったりはまるような気がしたのは確かだ。
何かを忘れている気がするが、とりあえず何もしないよりはましだろう。
とりあえず、また勉強だけは始めることにした。
つづく・・・
photo credit: The Girl in the Picture via photopin cc
あとがき
省吾のように
「思い返せば、自由を求めて勉強していたのに、いつからか、勉強自体が自分の中で大きな存在になっていく。」
ということはあります。
目的と、手段がどこかで入れ替わってしまうという話です。
しかし、
目的か?手段か?
そこは、あまり気にしなくても良いと思います。
むしろ大事なのは自分の中で一貫性を失わないことではないでしょうか?
ある目的を達成するために、その手段があるとしても、
実際の世の中では、さらにその手段を実現するために、また別の何かが必要になることはあります。
要するに、その手段の実現を「目的」とした、別の手段が必要になるということです。
だから、どんなものでも見方次第で、あるときは目的であり、あるときは手段になり得ます。
そうやって目的と手段の連鎖ができていったときに、そのつながりは、あなたにとって筋が通っているか?
これが大事です。
そこで出てくるのが、「理由」です。
・今やっていることは、自分が行動を起こした理由にどこかで繋がっているのか?
・繋がっていないとしたら、どこでずれたのか?
時々立ち止まって、考えてみると良いと思います。
いつもお読み頂きありがとうございます!
※この物語は、実体験をもとにしたフィクションです。
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