頭の良さは生まれつきなのか? 明日の成功を決める要因を考える (第13話 適当な人生)

アインシュタイン ストーリーでわかる自由の作り方

― 省吾、中学3年生の春。 省吾は最近、まわりからの視線が変わってきたことを気にしていた。 ―

 

実は成績はそんなに良くないのに、去年英検2級に受かったせいか、俺はなぜか「頭のいいやつ」扱いをされていた。

 

「生まれつき頭の良いやつはいいよな・・・」

そんな風に俺のことを言うやつもいた。

 

英検3級は特に対策しなくても受かったので、自分でも、もとから頭がいいのかと勘違いしていたこともある。だが、英検2級を受けようとして過去問を見てみたらかなり難しくてびっくりした記憶がある。

 

中学2年で英検2級に受かるまで、自分なりに結構英語を勉強した気になっていたので、「勉強は、努力がものをいう」という考えが芽生えつつあった。

それなりに努力は必要だし、努力で何かは変わる、という自負だけはあった。

だから、最初は「生まれつき説」に反論していたが、そのうち、基本的に論法の違う人達とはいくら話し合っても話が通じることはないと分かって、受け流すようになっていった。

 

それにしても勉強ができることが、一体社会に出て何の役に立つんだ?という同級生が多い。勉強を頑張っているという噂でもたてば、ガリ勉として馬鹿にされる程だ。

 

だから、わざと自分からも皆さんのご指摘通り、「俺はお前らとは、頭のできが違うんだよ」という態度をとってみたら、今度は誰もその話題に触れなくなった。

 

なんなら、かねてから勉強ネタで俺にちょっかいを出していた連中は、俺に話しかけもしなくなった気がする。中学校を卒業すれば、そんな連中とはもう会うこともないだろうと思っていたが、それが少しばかり早まった。

 

確かに、勉強が出来るかどうかは生まれつきの要素もあるとは思うが、それ以外にも、環境や本人の努力が大きいと思う。

 

だが、生まれつきの頭の良さでほとんど勝負が決まるとした方が、今勉強が出来ない人間にとっては好都合だろう。成績がわるいのも「自分のせい」ではなくなるし、努力が関係ないなら適当な人生を送ることができる。

 

だがそんな訳はないだろう。

人間は自分の力で自分の未来を開いていけるはずだ。

 

つづく・・・

 

photo credit: “I am content in my later years. I have kept my good humor and take neither myself nor the next person seriously.”- Albert Einstein via photopin (license)

あとがき

私は、人間の能力は

・生まれつき
・環境
・自分の努力

の3つで決まると思っています。

アインシュタインのようなレベルになれば、確かに生まれもった能力は否定できません。しかし、我々が一般的に求める成功は、環境や努力でつかめることが多いのではないでしょうか?

 

もちろん「運」もあります。しかし、よく言われるように、準備がないと「運」がめぐってきても、つかむことが出来ません。

 

確実に言えるのは、未来は今日することの結果に過ぎないということです。

 

今日の自分が明日の自分に影響を及ぼすことができるなら、今日、努力しない理由はないと思います。

 

いつもお読み頂きありがとうございます!
※この物語は、実体験をもとにしたフィクションです。

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