― 5月の連休に入り、省吾は数日実家に帰ることにした。駅から家に向かう道すがら、省吾は一頭の老犬を見かけて、あることに気づいた。 ―
たった1ヶ月東京にいただけで、田舎の空気の良さをこうも実感できるとは思わなかった。
何の変哲もない町だが、風にふかれて適当に歩くだけで良い気分だ。
大学に入ったばかりだというのに、早くも卒業後の進路について考えなければいけない。
家に帰れば、親との話し合いが始まるのは分かっている。
俺はなるべく遠回りして、このすばらしい自然を堪能することにした。
あてどもなく、坂を下り、路地を抜け、あるとき丁度ラーメン屋の角に出た。
小さな頃、このラーメン屋に何度か連れてきてもらったことを思い出しながら、
また別の路地に入ろうとしたとき、店の軒先に一頭の老犬がいることに気づいた。
「ああ、あの犬か・・・」
この犬は、よく脱走することで有名で、うちの庭に迷い込んできたこともあった。
そのうち、飼い主も鉄の鎖でつないだり、頑丈な柵をつけたりしたようだが、今はもう放し飼い状態だ。
犬の方も、もうあきらめたのか、歳なのかしらないが、すっかりおとなしくなっている。
「昔はあんなにやんちゃだったのにな。」
しっぽを振って近づいてきてくれたが、軒先を出ることはないようだ。
あるところまで来ると、ぴたっと動きが止まる。
まるで今も鎖でつながれているようだった。
そう思いながら。ハッとした。
「俺はこの犬と同じだ。」
大学受験については、本当に自分の意思で志望校を決めたかどうか、はっきり自問自答した。
大学合格は、俺だけでなく、親も強く希望していた。
そのため俺はどうしても、その目標が自分のためのものであるか、最初に確認する必要があった。
自分の中に根ざす理由でなければ、つらいとき、最後の頑張りが効かないからだ。
だが、大学に入ったあとの進路については考えていなかった。
大学受験はたまたま、自分と親の意見が合致しただけであって、今後もすべて同じ路線で協力していけるかどうかは別だろう。
親としては、勉強を続けて国家公務員を目指せと言う。
俺も、その話を聞いたときは悪くない話だと思った。
だが、無限に開けているはずの選択肢を前に、親の言うなりに人生の舵取りをしているのかもしれない。
そう気づいた。
ラーメン屋の犬のように、自由に動けるようになっても、それに気づかないで一生を終えるのだけは勘弁だ。
いつの間にか、勉強をして上を目指すことだけが、人生のすべてになっていた。
もちろん、それ自体に悪いことはないだろうが、一番やりたいことが何か、考えもしないのはもったいない。
「家に帰ったら、話してみるかな・・・」
自分の気持ちに気づけたことは嬉しかったが、気分は重かった。
つづく・・・
あとがき
人は環境に慣れる生き物ですが、その慣れが、自分を縛ることもあります。
何かやってみたいことがあるのに、中々一歩を踏み出せないなら、
自分は、自分で思う以上に自由に思考し、自由に行動出来る人間だと考えてみて下さい。
やりたいことが見つからない時も同じです。
「やれそうなこと」の中にやりたいことが無いだけではないですか?
やりたいことを探す時に、最初から除外する選択肢があれば見直して下さい。
あなたの首には鎖なんか付いていないはずです。
いつもお読み頂きありがとうございます!
※この物語は、実体験をもとにしたフィクションです。
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