― 試験で惨敗した省吾は、重い足取りで帰路に着いた。このままではいけない・・・。分かっていたのはそれだけだった ―
帰りの電車がトンネルに入ると、窓には車内が映る。
俺は窓に映る自分の眼を見て、変わろうと誓った。
しかし誓う言葉が思いつかなかった。どう変わるべきかは分かったが、どうやって変わるべきかが分からなかったからだ。
今まで勉強に時間をかけていた気になっていたが、流れに任せる感じだったのかもしれない。要するに、どれくらい勉強したか一切記録していなかったということだ。記録していないものは管理のしようがない。しかし、今日のように否応なく審判の日は来る。
だが、記録といっても、本格的すぎる仕組みはダメだと思っていた。何か、気負うことなく出来る簡単な方法で、日々の勉強を管理できる方法はないものか?勉強時間を記録する目的だけが満たせればいいんだ・・・。
パソコンソフトの表計算ソフトで細かく記録するとか、今から予定帳を買ってきて綿密に計画するとかそういうのじゃない。いきなりそんなことをやり始めても、負担が増えるだけで続くわけがないと思った。
まだ5月だというのに今日は妙に蒸し暑い。俺は胸ポケットのハンカチを取り出し、広げて額を軽く拭いた。ハンカチにしみ込んだ汗を見ながら、また折りたたもうとしていたとき、何かが見えた気がした。
「あ、そうか!」
つづく・・・
あとがき
「記録なくして管理なし、管理なくして改善なし。」
学生のとき、とっていた生産管理の授業で先生※1が口癖のように言っていたのを覚えています。
いざ変わろうと思っても、何をどう変えるべきかわからないというのは良くあることです。だからこそ、日々のデータを記録する癖をつけるのが大切です。
今までの足取りがわかれば、自分の行動の良い点、悪い点を振り返ることができます。それが「管理」です。
その上で、どこを変えるべきか、そしてどこを変えてはいけないのか、判断して新たな改善案を作り、また定期的に見直すというサイクルをとるのが王道です。
しかし、ここで大事になってくるのは何を記録して何を記録しないかです。最初が肝心とはまさにこのことで、ここで関係ない数字を日々記録しても後で役に立たないし、かといって、ありとあらゆる数字を思いつく限り記録していっても、その作業にかかる労力だけが増えてしまいます。
ここに完璧主義の罠があります。後になって、どんな点でも見直し、改善できたほうが良いと思うあまり記録するデータや管理項目を増やしてしまい、本当に大事なことがおろそかになってしまうという罠です。
勉強も仕事も、そこには競争相手がいます。戦略上、相手より一点でも一枚でも上を取れば勝ちです。決められた時間内に、相手より一秒でも早く、一点でも多く取ることを目指すなら、完璧主義はどこかで見切りをつける必要があります。
要は程度の問題です。必要最低限のデータを、今求める目標を達成するまでに足りると思う範囲で、決めて走り出しましょう。それは、今目の前にある戦いに勝つと同時に、その後も生き抜き、勝ち抜いていかなければいけないからです。記録や管理にかかる労力が大きすぎて「継続」の邪魔になるようでは元も子もありません。
さて次回、省吾の選んだ、いたって簡単な勉強管理方法とはどんなものだったのでしょうか?
いつもお読み頂きありがとうございます!
※この物語は、実体験をもとにしたフィクションです。
※1東京大学経済学部 藤本隆宏教授
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