― 高校3年生。省吾はそろそろ志望校の過去問に着手することにした。しかし、その過去問は省吾の期待を良い意味で裏切るような、異次元の問題だった。 ―
最近まで、世界史は得意科目だと思っていた。
センター試験の過去問を解いたりしても、既に結構解ける状態だったので変な自信を持っていたのかもしれない・・・。
しかし現実は厳しかった。
それは本試験の過去問対策を始めようと思った矢先のことだった。
「南アジアで5世紀から7世紀にかけて起きた、経済的な出来事について書け。」
こんな問題に遭遇した。
「ん!?」
歴史の暗記はそんなに苦手ではないが、これは細かい一問一答式の暗記をいくらやっても、その延長線上に答えがない。
「これは何か工夫が必要だ。」
今までやっていたことは、よく世の中で批判されている暗記学習そのものだった。
大は小を兼ねる。どの大学でも、知識量さえ十分なら、あとは組み立て次第であらゆる問題に対応出来るはずだ。
そう思っていた。
1年生のとき、綺麗なノート作りにトライしたのも、その「知識量」をクリアしたかったからだ。
だが、一面的な知識だけを頭につめんこんでも、まったく歯が立たない世界が目の前にある。
「これはどうしたものか。」
「なんで、これだけの情報を覚えているのに、本番では役に立たないんだ?」
これが所謂「応用が利かない」ということなのか?
南アジアならインド周辺の話をしろと言うことだろう。
しかし経済的な出来事?
年表を端から思い出している間に試験時間は過ぎてしまう。
しかも、そうやって芋づる式に情報を全部出せるほどコンピューターのような記憶を維持するのは難しい。
応用が利かないのは、別の角度から見たときや、別の何かと組み合わせたときに、ある情報がどう見えるのか、分からないことが原因だろう。
どんな勉強でも、暗記する情報がどんなにコンパクトにまとまっていても、そこには何らかの背景がある。
歴史なら、年表にさらっと書いてある「西暦18XX年○△王国成立」との情報の裏には、そこに生きた人々の暮らしがあったはずだ。
そして、その社会で起きた経済的な出来事は政治的な出来事とも当然関係があるし、隣国や社会情勢の機運ともあいまって変化していくものだろう。
全ては繋がっているのだから、スナップ写真のように記憶を断片的に維持しても、その背景にある、全てを束ねる「アルバム」的な枠がなければ、いざというときには意味のある情報として活用することができない。
きっと、学校でも教科書でも、個別の写真については一度くらい教えたり、記載があったりするものなのだろう。
だが、ある写真が、その他の写真とどう繋がっているとか、実は、この写真は、あの写真の構図を後ろからとったものなんだよ、といったことは教えてもらった記憶がない。
今回の問題はそんなことまで気付かせ、考えさせてくれる、まさに良問だった。
つづく・・・
photo credit: Chris Pirillo via photopin cc
あとがき
本当に使える知識を身につけたいなら、勉強の仕方に工夫が必要です。
学校では勉強を教えてくれますが、勉強の仕方自体はなかなか教えてくれません。
その結果、断片写真の寄せ集めのような知識しか残らない、ということになってしまいます。
ではどうしたらいいのか?
答えは
・様々な視点と
・つながり
です。
たとえば、鉛筆をある角度で見れば、ただの円や、多角形に見えますが、別の角度から見たことがなければ、棒状であることが分かりません。
よくある教科書や参考書に書いてある知識はまさにこの状態です。
別の角度から見たときどうなるのか、まったく想像が付かないのでは応用が利くはずがありません。
また、その鉛筆は、鉛筆削りや、消しゴムなどといった、別のアイテムとの関係がどうなっているのか、そういったことも併せて記憶に格納する方が有利です。
木の棒を鉛筆削りで削れば、紙に字が書けるようになるとか、さらにその字は消しゴムで消すことが出来るといった展開も、断片写真だけでは見えにくいでしょう。
たった一つの知識を学ぶときでも、
その知識は他の視点から見たときどういう意味を持つのか?
その他の知識とはどういう関係で繋がっているのか?
という多次元解釈を心がけてみてください。
どんどん、本当の「知」が身についていくはずです。
いつもお読み頂きありがとうございます!
※この物語は、実体験をもとにしたフィクションです。
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