― 高校1年生の3学期が終わり、省吾は春休みを迎えていた。知り合いの何人かは3年生を終え、卒業を記念してちょっとした会を開くというので出かけていくが、省吾はそこで、久々にあった先輩に相談を受ける。 ―
「あ、省吾君、久しぶり!」
「アサミさん、卒業おめでとう!」
以前街でばったり会ってから、アサミさんとは、この半年くらい良く電話で話すようになっていたが、会うのは久しぶりだ。
「うん。でもね、実際卒業って言われても、困っちゃうんだよね」
「そうなんですか?」
「卒業したのはいいんだけど、大学行くって訳じゃないし、仕事も決まってないし・・・」
「うちの親厳しいからさ・・・。もう自分で生きていけ、とか1年以内に家を出て行け、って話になってるんだよね。」
「それはキツイですね。」
「今までさんざん遊んできたからなー。」
「こんなんじゃだめだよね?どうしたら、私の人生変わるのかな?」
「はぁー。私の人生の分岐点っていつ来るんだろう?」
「アサミさん、それなら [今日] にすればいいじゃないですか。」
「え、 何を?」
「今自分で言ったじゃないですか。分岐点ですよ。」
「今日?」
「今日です。もしかして、いつか王子様が来るとか思ってます?」
「自分で生きていかなきゃいけないなら、バイトしながら資格でも取ったらどうですか?」
「えー、大変そうじゃん・・・」
「でも、来年には家出されちゃうんでしょ?」
「・・・」
「アサミさん、夜明け前が一番暗い、って言葉聞いたことありますか?」
「何それ?」
「良いことは、一番つらいことの後に待ってるってことですよ。」
「アサミさんが何かの資格をとって、自分で生きていくための仕事をゲット出来た日のことを想像してみて下さい。」
「その地点から振り返ったら、アサミさんの人生の分岐点はいつだった、ということになりますか?」
「今日・・・だね。」
分岐点というのは、結局後になってはじめて分かるものだ。
しかし、最悪にツラい時期こそ、成功の後で振り返ったときには、そこが分岐点だったと思えることが多い。
だからこそ、俺は、今日がアサミさんにとっての分岐点になってもおかしくないはずだと考えた。
「省吾君、勉強ってどうやるの?」
「この後、一緒にまた買い物行きましょうよ。」「でも、今回は服じゃなくて、本屋ですよ。」
「うん・・・。ありがとう。」
つづく・・・
photo credit: Andre Kenji via photopin cc
あとがき
So you have to trust that the dots will somehow connect in your future.
Steve Jobs
スティーブ・ジョブスが2005年に行った伝説のスピーチの一節です。
「自分がやってきたことや色々な出来事を一つの点と考えた場合、色々な点が繋がり、一つの線となり、今の自分にたどり着く。ただし、その線は、後で振り返ったとき、はじめて明らかになる。だからこそ、今やっていること、出来事が、将来何らかの形で繋がっていくと信じて、進んでいかなければならない。」
私なりの冗長な解釈をすればこんな意味になります。
どんなものにも、「あの日」があり、「最初の日」も、「最後の日」もあります。
本当の意味では、人生の分岐点は後からしか分からないとしても、今日である可能性はゼロじゃないはずです。
もしかして、今日かもしれないなら、今日でいいですよね?
いつもお読み頂きありがとうございます!
※この物語は、実体験をもとにしたフィクションです。
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